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たまに「パレスチナがこんなに悲惨な事になっているのに、何で声をあげないんだ?」って怒る人がいますが、そういうのはかえって人を遠ざける気がします(僕も圧を感じて「うう…」ってなる時があります)。

小川たまかさんが「お前もパレスチナについて言及しろ」という批判をされるとメルマガで書かれていました(結構な罵詈雑言を「free Palestina」な人に浴びせられています…)。小川さんが「性被害に遭われた女性たち」を取材し、その「小さな声」を拾うだけでは「フェミニストとして不十分」と罵るのは、僕は余りにも心無いと思う(実際はもっと酷い言葉を「free Palestina」な人に言われているそうです)。
僕は思うのです。もし、小川さんの様な人が「free Palestina」一色に染まったら、性被害に遭われた女性たちは、きっと「我慢」を選択してしまうんじゃないかと。「パレスチナの人たちに比べたら私なんて…」と口をつぐんでしまうんじゃないかと。

僕は苦しみに「優劣」をつけるのが嫌いです。「お前よりも苦しい人はたくさん居る」と、散々説教されてきましたから。

「自分はこれだけを上げているのだ!」というマウントをとる「free Palestina」の人を見て、誰が関心を持ちますか?

たまたまな日々・社会運動と支配欲
11月29日/その怒りをイスラエルへ向けてください、とか言われた
ogatama.theletter.jp/posts/c0f

ここに出てくる「20代フェミ女子」以外にも罵詈雑言を浴びせる「free Palestina」の人がいたそうです。
とても嫌な気分になります…。

こんばんは。「マウント」というか抑圧的な態度は「不公正」そのものだと思います。イシューは人それぞれなので、「優劣」などありません。置かれた状況はともかく、人は誰もが「対等」です。

その上で、いかに他者と手を繋げるかという話だと思います。

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