この週末に集落から「研修旅行」に行く。集落の区長である私は、ここ数ヶ月にわたって、その段取をしてきた。
一日目の昼食は、金比羅さんのふもとで讃岐うどんである。四国旅行あるあるだな。まあ、どうでも良いや、と、旅行会社の提案をそのまま受け入れた。
それで、先日、旅行会社が作った旅程表をそのまま配布して、気にも留めていなかったのだが、旅行参加予定のSさん(先輩)が、「金比羅さんの石段を登らなければならないかと思うと、仕事中でも気になって仕方がない」と言ってきた。
確かに配布した旅程表には「賑やかな金刀比羅宮の参道散策と御神酒"金陵"試飲」と書いてある。
「いや、別に石段を登って参拝せんでもええんちゃう?」
「せやろか?みんなが登る言うちゃったら、登らなあかんやろ」
「...」(はぁ? 小学校の旅行じゃあるまいし)
「ふだんから脚が痛くて、自分も辛いし、人にも迷惑を掛けるから、今回の旅行は参加せんとこか思う」
「え?えええ?」
という次第で、宥めるのに一苦労したのだが、いやあ、びっくりした。マジョリティに同調しないことがそこまでのストレスになるということを私は知らなかった。
Sさん(先輩)をどうやって宥めたかと言うと、何のことはない、「そんな時間は無いから、だーれも石段を登って参拝なんかせーへんで」という事を言った訳だ。結局、マジョリティによる権威を振りかざすのが一番効果的だということだった。
あなたは自由ですよ、と説得すべきだったろうか。そのときは、そういう説得が功を奏するとは思えなかった。
面倒くさいな、だったら参加取り止めでもええか、と一瞬思った。ほんの一瞬、それも電話だったので気付かれなかったと思うが。
参加したくないという人に参加を無理強いするのは良くない。それはそう。
しかし、Sさんの場合、すんなりと「じゃあ、不参加ということで」とすると、排除されたと思って傷つく心配があった。それで「とりあえず旅行会社に問い合せてみます」と言って時間稼ぎをしたり、3年物のらっきょ漬けを持って行って、調子が悪いというPCのファイル関連付けを修復したりした。挙げ句に「誰も石段は登りません」だ。
なかなか手強いな。